子育ては課金ゲーム!? 

こんばんは。伸学会の菊池です。

先日Facebook友達がお子さんのこんな発言を投稿していました。

思わず笑ってしまったのと同時に、
ここにはとても学ぶべきことがあるので、
ブログのネタにしようと思って掲載許可をいただきました。

というのも、
子どもへの課金は「推し」へのプレゼントと割り切ることが、
親子関係を良い状態に維持するためにとても大事なんですね。

このことはベストセラーとなった
ダン・アリエリーの「予想通りに不合理」の第4章に詳しいので、
もし機会があれば読んでみていただければと思います。


簡単に説明すると、
私たちは「社会規範」の世界と「市場規範」の世界を行ったり来たりしていて、
ある場面では「社会規範」に従って判断・行動し、
また別のある場面では「市場規範」に従って判断・行動しています。


社会規範の世界は、友人や家族の間での人間関係に基づいて動いています。
お互いに頼り頼られ、助け合う世界です。

頼まれて何かを手伝ったときには良い気分になりますし、
見返りをもらおうという気持ちなどはありません。

お手伝いをしてもらったときに謝礼を払ったりすると、
むしろ失礼に当たる場合もあります。


市場規範の世界は、社会規範の世界とは全く違います。

ギブアンドテイクのシビアな世界で、
支払った分に見合ったものが手に入ります。

こうした市場的な関わり合いが悪いというわけではありません。

対等な利益、迅速な支払い、個人主義、
そうしたものが必要な場面というものもちろんあります。


社会規範と市場規範が
それぞれ離れたところで機能している場合には
何の問題もありません。

しかし、同じ場面で衝突すると途端に面倒なことになります。

例えば、ある男性が意中の女性をデートに誘ったとします。

何度かデートを重ね、男性はその都度食事代などを負担しました。

しかし、なかなか女性は男性の求愛にOKしてくれません。

男性は徐々に、これまで支払ってきたデート代のことが気になりだします。

そしてついに言ってしまいました。

「こんなにデート代を払ってきたんだから、
せめて手をつないだりキスをしたりするくらい良いじゃないか」


さて、あなたがこの女性の立場だったらどう思うでしょうか?

冷めることは間違いないはずです。

率直に言って、「気持ち悪い」と感じる方も多いはずです。

これこそが正に、
「愛情」「好意」「親近感」という社会規範の世界に、
「お金」という市場規範を持ち込むことによって起こる違和感です。

ダン・アリエリーの「予想通りに不合理」の言葉を引用するなら、
こうした場合、
社会規範と市場規範を混同することは、
「女性を売春婦呼ばわりしていることになる」
ということなのです。


もう1つ、モチベーションへの影響という観点からも話をしておきましょう。

社会規範と市場規範は、
どちらもモチベーションの源泉となります。

頼まれて無償で作業をすることもありますし、
報酬をもらって作業をすることもあります。

では、どちらのほうがより強いモチベーションとなるのでしょうか?

アリエリーは、
「5分の間、コンピューターの画面に表示される円を、マウスを使って所定の場所にドラッグ&ドロップし続けるだけ」
という簡単でとても退屈な課題を実験参加者たちに行わせました。

そして、実験参加者を3つのグループに分け、1つのグループには5ドルの報酬を渡しました。たった5分の作業の報酬としてはまずまずです。
もう1つのグループには、それよりもはるかに少ない50セントの報酬を渡しました。
最後に、3番目のグループには、お願い事として課題を提示しました。具体的な見返りを渡さず、お金の話もしませんでした。力を貸してほしいと頼んだだけです。

その結果、5ドルを受け取った人たちは平均159個の円をドラッグし、
50セントを受け取った人たちは平均101個の円をドラッグしました。

報酬の額がやる気に与える影響がよくわかりますね。

では、お願い事として頼まれて実験に参加した人たちはどうだったでしょうか?

結果は平均168個で、もっとも真剣に課題をこなしたことが分かりました。

社会規範は「内発的動機付け(関係性)」であり、
市場規範は「外発的動機付け」ですから、
内発的動機付けの方がより強いというのは分かりやすいことです。

子どもにお手伝いを頼むときには、
「中途半端にお駄賃をあげるとかえってやる気が下がる」
と覚えておいた方が良いかもしれませんね。


そして、一度「市場規範」が入り込むと、
そのあと「社会規範」に戻ることはとても困難だということもわかっています。

やっかいなことに、

安いお駄賃でやる気を損なったからといって、
お駄賃を廃止しても社会規範は戻ってきてくれないのです。


では、お金ではなく、
プレゼントだったらどうなるでしょうか?


アリエリーは先ほどと同様に、
実験参加者に円をドラッグアンドドロップしてもらう作業をしてもらう実験を行いました。

ただし今度は、1つのグループでは5ドルの現金の代わりに、5ドル相当のゴディバのチョコレートを渡しました。
もう1つのグループでは50セント相当のスニッカーズのチョコバーを渡しました。
1つのグループでは、先ほどと同様に何も渡しませんでした。

その結果、3つの実験グループはいずれも同じくらい熱心に課題に取り組みました。

ゴディバのグループでは平均169個、
スニッカーズのグループでは平均162個、
何ももらわなかったグループでは平均168個の円をドラッグしました。

プレゼントは社会規範を壊さないということがわかりますね。


ところが、プレゼントをするときに、
「50セントのスニッカーズ」「5ドルのゴディバ」と値段を明かして渡すと、
実験参加者は現金をもらったときと同じようにふるまいました。

50セントのスニッカーズをもらった人たちのやる気は高まらなかったのです。

プレゼントをするときには、
値段を意識させないことが大切なようですね。


こうした実験結果から、
アリエリーは
「デート相手とレストランに行ったら、
 料理の値段はけっして口にしてはいけない」
とまとめています。


さて、話を親子関係に戻しましょう。

中学受験は課金ゲームだと揶揄されますよね。

確かに教育にはお金がかかりますから、
「パフォーマンス」とか「リターン」とかを
求めたくなってしまうのが人情ですよね。

私もブログやメルマガで
「教育への投資は幼児・未就学児といった幼少期の方がコスパが良い」
といった経済学の研究結果をご紹介したりしているので、
それを助長してしまっているのかもしれません。

しかし、これは親子関係に「市場規範」を持ち込むことになる危険があるので注意が必要です。

一度「市場規範」が持ち込まれると、
親子関係が「ギブアンドテイク」なドライなものとなってしまうでしょう。

それは多くの親御さんにとって望ましいものではないはずです。

教育費の使い方を考えるときには
「どうせプレゼントを買うなら子どもが喜ぶものを買う方が良いよね」
くらいの気持ちで考えることが重要です。

まして、教育費がいくらかかっているのかを子どもに言って聞かせるのは、
デート代やプレゼント代がいくらかかったかデート相手に言うのと同じで、
決して良い結果にはつながらないでしょう。

お子さんが努力を怠り、
せっかくかけた教育費が無駄になっているように感じられるときにも、
お金のことは持ち出さずに、
「子どもに勉強したいと思わせるには?」「勉強を好きにさせるには?」
と考えるアプローチをするようにしてくださいね。


ちなみに冒頭の投稿をしていたお母さんは
「喜んで『推しに課金』致します。笑」
とおっしゃっていました。

これくらい開き直れてると、
市場規範に侵食される心配は無さそうで安心ですね。

ウケる(笑)

あなたも真似してみてくださいね。


それでは!



余談ですが、、、

先生と生徒の関係は、
社会規範と市場規範どちらが望ましいのでしょうか?

それはもちろん社会規範の方だろうと思います。

先ほど紹介した実験でわかるように、
社会規範の方がより高いモチベーションにつながります。

「生徒のために頑張ろう」と考える方が良い仕事をするということです。

ここで
「生徒を難関校に合格させると実績に応じてボーナスがもらえる」とか、
「生徒数を増やし売り上げが増えるとボーナスがもらえる」とかいった仕組みにすると、
先生たちの行動原理が「市場規範」になってしまう危険があります。

それは避けなければいけないことです。

生活していくためには収入が必要ですが、
給与のために働くようでは良い仕事はできません。

ですから、お金の心配をしなくて良いだけの
十分な給与をスタッフに払えるようにする必要があるのですね。

良い塾を作るのは大変だ。

経営者として頑張っていこうと思います!



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