【受験体験記】かえつ有明中進学Kさんの保護者様より


息子を合格まで導いてくださりありがとうございました。
転塾して5年の秋からお世話になり、志望校から合格をいただくことができました。
なんといってもわが家は、先生に相談する回数がダントツに多かったのではないかと思います。

今数えたら、3月から1月までの11か月の間に、事務連絡を除いたメールを20回以上お送りしていました。
なかなかやる気を出さないわが子に親が不安になり、そのたびに先生に愚痴のようなメールを送り、頂いた返信で安堵する、という繰り返しで、結局、面談も確か5回実施いただきました。
おかげさまで息子と決定的な親子喧嘩になることはなく、無事に第一志望校から合格をいただくことが出来ました。

私も夫も中高一貫校で6年間を過ごしたので、中学受験はよほどの事がない限りはするもの、と最初から思っていました。
息子には、高校受験がなくて公立よりもいいグラウンドでサッカーできる可能性があるけど、中学受験する?という確認を取り、サッカーが強いところに行きたいね、と親子で思っておりました。
3年生の終わりの2月、いわゆる「新4年生」から、セオリー通りに塾に通うことを考えた時、本人の性格からも、自分の経験からも、毎月のテストでクラスや座席がコロコロ変わるのは落ち着かないため、大手塾は最初から念頭にありませんでした。
その頃偶然、以前の伸学会があったオレンジハウスの近くを散歩する機会が多く、こんなところに塾が、と気になり、菊池先生のブログの内容や、速読・パズルにもとても惹かれました。
しかし、サッカーをできるだけ続けたくて、通塾曜日の関係などで他の小規模塾に決めました。
が、宿題をしたノートを親が撮影してオンライン提出するスタイルだったため、宿題をやったかどうかで親子バトルになることもしばしば。
学習習慣をつけることが先決と面談で言われても、打ち手は当然親が考えなければならず、親子関係の悪化を防ぎたいと思っているうちに5年の夏になってしまいました。
夏期講習でお友達とトラブルになったことと、学習習慣がいつまでも身につかない事にも危機感を覚え、今のままではマズイと思い、5年生の秋に転塾を決意。
最初から伸学会にお世話になれば良かった..と後悔しつつ、問い合わせの連絡をしたことを覚えています。

入塾してみると、思いがけず、同じサッカークラブのメンバーの子が在籍していました。
良かったね、一緒に頑張れるね、と喜んだのも束の間、6年生を目前にして、その子は早々にスポーツ推薦にきりかえたようで受験を離脱してしまいました。
息子にとっては、友達が思い切りサッカーをしていて、サッカーで受験をクリアできる環境にいるのに、自分はサッカーを制限して塾に通う、ということに割り切れない思いがあったと思います。
ここでサッカーまで取り上げたらダメだと思い、なぜ休部しないのかといぶかる夫を尻目に、夏まではとりあえずサッカーを続けながら受験勉強をさせると決めました。
感染症対策で、学校見学の予約がほとんどとれず、子どもにとってのモチベーションを高めることが難しかったのも痛手でした。
6年生になってからもマイペースでゲームやYouTubeに興じる息子に不安になる度、江藤先生にメールでご相談させて頂きました。
7月初旬、初孫で一番かわいがってくれた祖父(私の父親)が亡くなり、下剋上算数もやらなくなり、YouTube視聴に再度ハマってしまい、あまりに中毒的に見ているので声をかけると、キレられる、ということも多く、鍵のかかる所にデバイスをしまうことに。
夏休みは頑張った様子でしたが、休み明けの模試結果の偏差値は散々。
きちんと塾に行き宿題もやっていたと思っていた親はショックを受けました。
通塾演習指導を取ってはどうかと先生から進められ、通塾時間が増えました。
親は、そもそも基礎力が足りないのでは…と思いつめ、焦って家庭教師をつけることを検討したりもしましたが、先生からの返信で正気を取り戻したりしていました。
併願校を調べ直すうち、よさそうな学校を見つけ、見学会に参加、本人が気に入ってからは少しやる気になったかと思います。
11月、模試の成績が振るわない割に、「16印は終わった」と言って毎日ゲーム。
3時間近くゲームしている時もあり、さすがに心配に。
夜中にこっそりiPadでYouTubeを見ていることも未だにあり、睡眠時間の確保に影響するからと叱ることもある、とご相談。
先生から本人にもお話頂きました。
12月にもやる気が起きないため、先生に喝を入れてもらうために面談。
ようやくゲームのコントローラーを自宅の棚に封印しました。
直前の1月にも、1月校の受験校選びに迷いがある、と面談をご依頼。
お勧めいただいた学校を受験する事にしました。
本当に感謝の言葉もありません。
ご相談が無かったら、不安のあまり子供に余計な一言を乱発し、不毛な親子げんかに発展させて合格にはたどり着けなかったと思います。
1月半ばからは、親がつきっきりで基本問題の確認を行いました。
下剋上を毎日必ず2つずつやり、加えて新演習を解いていましたが、単元ごとの問題量が多すぎて圧倒されてやる気が下がるようなので、本人が何かで見つけて関心をもった書籍を購入してざっと復習を行い、理解不足の単元・問題をその他教材で補う、というふうにしていました。
最後の1週間は、算数は引き続き復習、国語は長文を読む感覚をキープするため、毎日何らかの入試問題を解くようにし、社会は四科のまとめと時事問題集を解き、理科は本人に任せていました。
時事問題が重視される学校だったので、社会や理解の予想問題を調べて解いたり、YouTubeで理解を深めたりしました。
1月30日には、算数の第一志望校の過去問の類題がだいたい解けるかなというところまで来ました。
受験2日前になっても朝からやる気が出ず、カフェに行ってみたり、理科をやってみたり、時事問題を眺めてみたり、甘いものを食べてみたりしていて、午後遅くから過去問を解き始める、というマイペースぶりでした。

2月1日は、さすがに少し緊張気味で会場に向かったようでした。
難しかったと感じたようで、お昼休憩の時もほとんど話さず、ここが難しかった、と言葉少なめ。
気分転換にとカフェに入り、下剋上算数を1回分解いて頭の準備運動しようか、と言っても手が止まっているので、カフェを出て学校の待合室に戻ることにしました。
午後の試験はもっと難しく感じたようで、暗い顔。
重い足取りで電車に乗り、帰りの車内で午前の結果発表を見たところ、合格していて心底ホッとしたのを思い出します。
合格後も、引き続き2日間にわたって特待入試を受け続けるも、撃沈。
不合格で最後の入試を終えたので親は残念でしたが、本人は晴れやかな顔でした。

最終的に、我が家ではコツコツ毎日、計算や漢字を練習するという事は習慣化できませんでした。
それでも、下剋上算数を繰り返して、10分で10問解けなくてもいいから、とにかく最初の2問の計算を落とさないために見直しをすることを徹底し、最後は10点満点が取れるようになり、親子で喜ぶことができました。
本人が「やればできる」と思えたことが本当に良かったです。
結果がどうあれ、この自信は本物なんだ、という実感を一つでも持てたので、足取りが重い時でも、心の拠り所がある気持ちでいられました。
ちなみに、サッカーが強い学校に行きたいね、という点ですが、わが子の場合は、サッカー以外にゲームなど興味が分散していたため、プロを目指すような本気コースに乗せるのは本人も親も厳しいと思い、本人が楽しいスクールライフを送れそうかどうか、将来性がありそうか、学校への信頼感がもてるかどうか、教師や子供を大事にする学校かどうか、そして、サッカーを楽しくやれそうか、ということを考えて志望校を決めました。
結果、人工芝のグラウンドがあってサッカー部がそこそこ頑張っている学校に照準を定めることになりました。結果的には満足いく受験になりました。

長文になりましたが、これから中学受験をされる方の努力が実のあるものになりますように。
そして、代表の菊池先生、自由が丘校の江藤先生、長谷川先生、吉田さん、目黒校の先生方をはじめ、温かく見守ってくださった全ての方へ改めて感謝をお伝えしたいと思います。
本当にありがとうございました。