城北中学校進学F君の受験体験記


中学受験を見据えて自宅近くの大手進学塾に息子を通わせ始めたのは新4年生となる前の2月でした。

我が家は私自身が田舎の出身で、高校・大学受験こそしていたものの中学受験は経験しておらず、一方の妻は中学受験を経て首都圏私立中高一貫校経由で大学進学していたため高校受験を経験していませんでした。
そのため中学受験にあたり小学生が早期から通塾して準備することに、私は少しの戸惑いとその必要性に対する疑念を感じ、夫婦間で受験に対する感覚の相違がありました。
ともあれ、東京ではそんなもんなのかなぁと考えながら、妻と相談して通塾させることにしました。

当初息子自身は中学受験には全く関心がなかったものの、強い拒否もなく私たち両親に言われるがままに通塾を始めました。
私自身も田舎育ちとはいえ小学校時代からそれなりにきちんと勉強してきていましたが、大手塾は教材・宿題も多く、この分量をこの学年からやるのかと驚かされました。
私たち両親は共働きで息子の勉強の面倒を見てあげられるのはクラス分けテスト直前の週末くらいでしたが、幸い本人の外面を良く保ちたい性分のおかげで、私たちが手伝わずとも宿題は自分でできる範囲でこなしてくれていました。
ただ集団受講型の大手塾の授業で進んで質問するような性格の子ではなかったので、塾で分からなかったところはそのままで、宿題でも同じ分野は答えを読みながら完全には理解できないままに一応は形にして提出だけはしていたような感じでした。

そこに組分けテスト直前になって、“今度の組分けテストの範囲これだから土日でやっていい成績取ろう!”と私たちに単発で試験勉強に誘われて仕方なくこれもこなす、そんな日々が2年間続きました。
そのため塾での成績は全体の中位以下を上下するのみでパッとせず、学年が進むにつれて自我が出てきた息子は、“別に僕が受験したいって言ったわけじゃないし公立中学で良いよ、勉強なんてやりたくない!!”とまで言い放つようになり、1年後に迫った本番に相当な暗雲が垂れ込めた状態となりました。


そんな状況の中、このままでは1年後に良い結果は出ないと考え、最後の頼みの綱として選んだ転塾先が伸学会でした。
受験勉強を無理強いせずに”自分ごと“として捉えさせ、かつポイント発見・リトライという勉強の仕方を授けて学習記録をつけさせて自ら勉強できる力を育てる、という伸学会の指導方針に共感し選ばせていただきました。
通塾に45分ほどかかる距離でしたが、いざ通塾させてみるとこれまでとは違った勉強の方法に少し戸惑いながらも教室や先生方の御指導もあってか、本人も納得しながら無理なく楽しく勉強できるようになっていきました。

夏休み前はとにかく基本を徹底している様子がうかがえ、教材を絞ってそれを繰り返しこなす姿が印象的でした。
ただ模試やアタックテストの成績はすぐには上がらず、むしろ入塾3ヶ月後にはクラスが下がる経験もしました。
しかし担任の秦先生からの適切な声かけなどもあり、転塾前と異なり本人は至ってポジティブに受け止めて、”ここから言われたことを頑張って巻き返す、塾は変わらず楽しいよ。“との発言も見られ、受験勉強に対する姿勢が明らかに変化したことを感じました。
そのため先生とも相談し、このタイミングで通常授業のない土曜日に算数のみ個別指導を追加して強化することを本人に提案したところ、本人も嫌がることなくすんなりと受け入れました。

その後夏休みまでの2ヶ月程度も通塾時間の増加とともに徐々に勉強量を増やし、夏期講習も順調にこなしていきました。


そして明確な転機が訪れたのが8月中旬に参加した夏合宿でした。
参加前は4日間の共同生活含め強い不安を吐露していましたが、最終日に自信に満ちた表情で意気揚々と帰宅したのです。
理由を聞くと、合宿各日の最後に実施する小テストで成績上位3名が皆の前で表彰されるのだそうですが、そこで連日表彰され、”すごく自信になった、初めて勉強が楽しいと思った!“と興奮気味に話してくれました。
転塾してからの半年の努力がしっかりとした形として認められ、これが明らかにその後の受験勉強への自信とモチベーションになっていきました。
秦先生からもお褒めの言葉をいただき、夏休み後からはクラスも元のクラスへ復帰できることとなり、本人のテンションはさらに上昇。
模試もそれまで受験していた首都圏模試から日能研模試への切り替えとなり、いよいよ秋から始まる過去問演習含め、本番へ向けて親子ともどもテンションが上がっていきました。


その後夏休み明けに期待を持って望んだ9月中旬の首都圏模試。
これを最後に以後は日能研模試へ切り替えとなることが決まっていたため、秦先生からは、“本人の気持ちとやる気に合わせて無理に受験せずスキップも可”と言われていましたが、本人は“夏の成果を試したい。”と前のめりで受験しました。
全体としてある程度の偏差値上昇と手応えを得られたものの、夏前から開始した個別指導と夏の頑張りの成果が出た算数と元々得意であった社会に比べて、国語と理科の伸びは今ひとつでした。
ここで先生との面談や本人との相談を通して、本番に向けてはやはり国語(長文問題)の強化が最優先と結論し、これまで算数の個別指導のみで通塾していた土曜日に国語の個別指導も追加しました。

するとこれまで長文問題では問題文を読むのを面倒くさがり得点のムラが大きかったのが、読解のロジックを教わりながら少しずつ安定的に得点を伸ばすことができるようになりました。
個別指導の中村先生とも馬が合ったのか、これまで全く興味を示さなかった読書を塾の行き帰りの電車の中でするよう勧められると、驚いたことにこれもすんなりと受け入れ、文庫本を購入してほしいと本人から我々両親に伝えてきました。
希望通りに候補の中で最もページ数の少ないものからまず買い与えると、1-2週間程度で読破して“結構面白かった。
また別の本も読んでみたい。”と言ってきました。
予想だにしない変化に驚きと喜びを感じながら、1冊目の1.5倍ほどの分量の本を買い与えるとこれも2-3週間で読破し、受験までで計3冊の文庫本を塾の行き帰りだけで読破しました。
先述した個別指導を中心としたご指導と読書習慣のおかげで、以後の模試では国語の成績は着実に上昇して試験ごとの得点ムラも無くなり、算数の定着と合わせて実力アップを実感できるようになりました。
秋は過去問演習とほぼ月1回の模試を着実にこなしながら上記国語の底上げをはかったところ、模試での4科偏差値は一進一退ながらも2科偏差値は緩やかかつ安定的に上昇していきました。
開始当初は第4志望の学校までしか合格最低点をクリアできていなかった過去問演習でも、年末には第2志望の学校をクリアする回が出てくるようになりました。


怒涛のように秋が過ぎ、気づけば12月末。
模試のたびに先生とは面談して随時課題をあぶり出してきましたが、この頃になるとやはり第2・3志望(2・3がほぼ同等の偏差値の学校を志望していました)以上の学校に合格する確率を上げるには、他の3教科に比べて理科が大きな穴になっていることが明白になりました。
これは秋の過去問演習・模試でもわかっていたため、先生との面談を通して11月頃から本来国語・算数でお世話になっていた個別指導の時間内に理科の苦手分野を少し入れて頂くなどして柔軟に対応してもらっていましたが、いよいよ残り1ヶ月で模試の偏差値50レベルは安定して取れるようにしないといけないと考えました。
そこで年末からは父子で理科の自宅学習時間を増やして、苦手かつ頻出範囲の教科書内容確認と基本問題を毎日繰り返しやるようにしました。
理科に関しては本人の苦手意識で勉強を敬遠していた部分が大きく、本当に基本が抜けている状態でしたが、私の感覚では“基本と原理・原則を覚えさえすれば計算が得意な息子なら偏差値50レベルには残り1か月でも十分に持っていけるはず”と感じていました。
ただ発展問題など難しい内容まで足を突っ込むと残り1か月では混乱してどれも定着しないと考え、“頻出分野が小問5問構成の大問で出た時に小問3までは最低でも取れることを目標に”と、とにかく苦手・頻出分野の基本的な問題を中心に繰り返すようにしました。

すると1月中旬以降は第2・3志望校の過去問演習で毎回合格最低点をクリアし、第1志望校の合格最低点もギリギリでクリアする回が出てくるようになりました。
埼玉・千葉の学校へ通う意思は親子ともども無かったため、1月の前受け校は受験日の移動などの負担を考慮して自宅近くで受験できる学校を1校のみ、本番の予行演習のつもりで受けました。
このように1月は基本的には前受けに時間は割かず、あくまで過去問演習と各教科の総復習・理科の底上げに注力しました。
出願に関しては、第1志望校を2月1日午前の受験校とすることはそれまでの過去問演習結果からもやや賭けに近い側面が大きいと考えられたことと、秦先生との協議結果や本番期間での本人のメンタル面などを考慮して、2月1日午前第3志望→1日午後第4志望を皮切りに2日午前第2志望→2日午後予備(1日が双方不合格なら第6志望)→3日午前第5志望→4日午前第1志望というかたちで、実績を積み上げて自信をつけて最後に第1志望を目指すプランとしました。
もちろん本当は王道で2月1日に第1志望を受けさせたいところでしたが、志望校の構成が第4・5志望で12月模試の持ち偏差値と同等かやや上、第2・3志望校はそれより5-7程度高く、第1志望校の2月1日午前受験はそれより10程度高く過去問で1度合格最低点をマークしたのみで模試でも4科合計ではその偏差値に達したことがない、といった具合でした。
当然、本人も自信を持てないのが我々からも見えたので、そこは冷静にジャッジして上記日程を組みました。


そして迎えた2月1日。
朝に先生方からZoomで激励をいただき、日曜日だったので妻とともに午前の試験会場に息子を送りました。
やや緊張の面持ちでしたが、試験後本人は“結構できた、大丈夫だと思う。”との返答で我々も一安心。
意気揚々と午後の試験会場へ移動して受験。
午後の試験はむしろ反応が微妙で一抹の不安を感じましたが、午前が大丈夫であれば2日以降もプラン通り進められると9割安心・1割不安といった感じで帰路に着きました。

その途中で午前の結果が発表される時刻となったため、少し気楽な気持ちで結果を確認するとまさかの不合格。
こればっかりは3人とも絶句。
息子のその後の動揺は激しく、“えっ、どういうこと?どういうこと?”と言って以後号泣。
この時点で忽ち午後の結果を大きな不安を持って待つ状況に突き落とされました。
帰宅後も本人の落ち込みは変わらず、部屋にこもって泣きじゃくる状態が続いたため、これでは翌日以降の試験に悪影響が出ると考えてすかさず秦先生に連絡しました。
すると、“よければ本人を塾に連れてきていただけると大変ありがたいです!”とのコメントをいただき、奈落の底に突き落とされて自信を失い嫌がる息子を何とか説得し、すがる思いで日曜日の18時半過ぎという遅い時間でしたが塾に送り届けました。

すると秦先生から、“今日何時まで大丈夫ですか?”と、時間が許す限りとことん付き合いますという趣旨の発言をいただき、大変心強く感じました。
息子の戻りを妻と2人で塾近くのカフェで待つ間も午後の結果が気になり落ち着きませんでしたが、1時間半ほどで本人から電話があり迎えに行きました。
すると何やら落ち着いた様子で、“何とか頑張れる気がしてきた。”と驚くほどメンタルが安定。
聞けば不合格だった第3志望校の問題振り返りと翌日の受験校相談に加えて、秦先生の特技であるマジックもご披露いただき、極め付けとして秘密のミッション(伸学会の先輩たちが受験の時に校門の前で被ったレッサーパンダらしき動物の被り物を試験当日校門前で被って写真を撮る)も授けて頂いたとのことでした。

我々も一安心しましたが、一方でより一層午後の第4志望の結果への不安も強くなりました。
我々としては第4-5志望校を最低ラインと考えていたため、これがダメだった場合は2日午前を第2志望校から第4志望校の3回目試験に切り替えて同日午後に第6志望を組み込まねばならず、4日の第1志望校も第2もしくは第3志望校へ変更せざるを得なくなるため、これだけは何とか回避したいと祈るばかりでした。

そして緊張の中迎えた22時。
家族みんなで私のスマホを祈る想いで見つめ、“合格おめでとうございます”を確認。
その瞬間息子は雄叫びを上げて飛び上がって喜びを爆発させ、家族もみんなで飛び上がり、抱き合って喜びを分かち合いました。

すでに22時を過ぎた遅い時間でしたが、“受験期間中は翌日以降の受験校相談など含め迷わず何時でもご連絡ください。”と伸学会挙げてのバックアップを約束してくださっていたので、すぐに秦先生にもZoomで報告しました。
すると遅い時間にもかかわらず、福田先生など校舎に残られていた先生方皆さんで祝福してくれました。
そしてすぐさま翌日以降の受験校の決定作業に入りましたが、ここで1日午前に不合格だった第3志望校を受けるか、当初の予定通り第2志望校を受けるかで悩みました。
秦先生の、“今日午後の合格を取れて目標を上げて行けるので、これはもうご本人の気持ち次第です。”との言葉を聞き、息子と相談しました。
息子は当初やや偏差値の低い第3志望校の再受験を望んでいましたが、話を聞くと確たる理由はなかったので、中学受験の目的やそれぞれの学校の特色などをおさらいして比較・整理し、最終的には予定通り第2志望校の受験を決めました。
間もなく23時という時間でしたが秦先生に受験予定を報告し、“分かりました!その覚悟を応援します!”と短くも心強い一言を頂きました。

2日朝も前日同様Zoomでの激励をいただき、前夜に秦先生から授かったミッションを校門の前で実行し写真を教室宛てに送信しました。
程よい緊張感をもって試験会場に入っていく姿が印象的でした。
試験後は“昨日からの試験で一番できた、いけるかも!”との感想で、試験後は昼食を摂り息子はそのまま塾に直行しました。
当日の振り返りと翌日の対策を終えて、前日とは別人のように落ち着いた様子で夕方に帰宅してきました。
そして前日同様に家族みんなでスマホを前に緊張の一瞬。

結果は合格!

前日以上に皆で喜び、本人もこれまでにない充実感と高揚感を口にし、気持ちは翌々日に控えた第1志望校受験に向けノリノリになっていきました。
3日の第5志望校はスキップする選択肢もありましたが、自宅から徒歩圏内ということもあり予定通り受験しました(この日もミッション実行)。
これもそれなりの手応えを得て帰宅し、前日同様昼食後に塾へ直行。
3日受験の合格発表は翌日の20時だったため、最後の対策を終えて同日夜はしばしの休息をとり、いざ勝負の2月4日を迎えました。
恒例となった先生方の朝のZoom応援とミッション実行を経て落ち着いて会場入り。
試験後は“結構できた、ワンチャンあるかも!”と言いながらこの日も昼食後に塾へ(翌日以降は受験予定無かったのですがもうほぼ習慣的に)。

そして夜に運命の合格発表。
結果は前日受験した第5志望校が繰り上げ合格対象者とやや意外な結果に、そして第1志望校は残念ながら不合格でした。
第1志望校に関して本人もある程度厳しい戦いであることは認識していましたが、それでもやはり現実を突きつけられるとショックだったようで、流石に結果を確認した夜は涙を流して悔しがっていました。

我々もこの日は、“でも第2志望校合格は十分に立派。
よく頑張ったよ、ありがとう。”と声をかけるのが精一杯でした。
しかし翌朝には何かが吹っ切れたのかメンタルはだいぶ回復しており、後で聞くと“でも最後に第1志望校受けられるだけの結果を途中まで出せたことは自信になったし、良かったと思う。”とポジティブな気持ちになっており安心しました。

こうしてジェットコースターのような受験が終了しました。
春からは第2志望校に進学しますが、既に合格後の入学前登校日で手渡された宿題にも積極的に取り組みながら、“伸学会での最後1年間は楽しかったし中学受験も良い思い出になった。
中学に入っても頑張って成績上位に食い込みたい。”と話しています。

これを聞いて我々両親も“本当に伸学会にお世話になって良かったな、結果のみでなく息子の精神的な成長にも多大な影響を与えてくださったのだな。”と感じました。
努力が結実した満足感と、第1志望校に僅かに届かなかった悔しさの両方を持って、今後の中学校・高校での飛躍の糧としてくれることを祈るばかりです。

長くなりましたが、我が家の3年間の受験体験を書かせていただきました。
やはり伸学会にお世話になっていなければ最後1年間での伸びは無かったと思いますし、伸学会の指針である“受験勉強を自分事として捉えて自ら学ぶ姿勢を身につけて中学・高校以後の勉強に繋げていく”という、中学受験のみならず中長期的視野に立って中学受験を楽しくかつ有意義な形で乗り切ることができたというところに大きな意義を感じております。
最後にこの場をお借りしまして、担任の秦先生はじめスタッフ方々に感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

F君のお父さんありがとうございました。